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力道山没後50年 妻・田中敬子さん「生きていれば国際状況違っていた」

  



 「日本プロレスの父」と呼ばれ、日本の戦後復興の象徴だった力道山(本名・百田光浩)が、非業の死を遂げてから15日で50年となる。16日には東京・後楽園ホールで追悼記念興行が催され、孫の百田力(32)がプロレスデビューする予定だ。

 力道山は大相撲の力士として、関脇まで昇進した。1950年に角界を去った後、渡米してプロレス修行。帰国後、必殺「空手チョップ」を武器にプロレスブームを巻き起こした。54年には世界タッグ王者のシャープ兄弟と対戦。柔道家・木村政彦との決戦を制して伝説になった。

 だが63年12月8日、東京・赤坂のナイトクラブで暴力団員の男と口論になり、刃物で刺された。1週間後の12月15日、都内の病院で死去。享年39歳だった。

 亡くなる約半年前に結婚した妻・田中敬子さん(72)は「もし今も生きていたら日本、韓国、北朝鮮で愛されたヒーローとして、関係悪化の前に手を尽くし、今の国際状況は全然違っていたはず」と語る。力道山は生前、朝鮮半島の出自をほとんど公にしなかった(朝鮮名・金信洛)。63年に極秘訪問した国交正常化前の韓国で「(軍事境界線上の)板門店に連れて行ってくれ」と依頼。板門店付近で上半身裸になり、北の空へ家族への思いを絶叫したという。

 北朝鮮東部の咸鏡(ハムギョン)南道新浦市には、力道山が暮らしていたとされる家があり、故人をしのぶ人々が今でも訪れている。力道山がもうけたとされる娘・金英淑(キム・ヨンスク)さん(70)は、平壌で健在。夫の朴明哲氏は近年まで体育相を務めていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131215-00000007-sph-soci
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すぎはら 美里(すぎはら みり)は、暴走族総長などの経験・気質から、視聴者や歌舞伎町内の人々から相談の絶えない存在となり、現在も多くの相談が寄せられる。とくに女性からの支持が多く、街角で呼止られ、そのまま相談といったケースもある。性格・面倒見が良く姐御肌だが、実はかなり天然ボケである。
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