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Coccoインタビュー 希有な「うた」の才能を持つCoccoはなぜ今、演劇の道へと進むのか?




音楽の世界で、希有な女性シンガーの才能を示す称号はいくつもある。たとえば「歌姫」「ディーヴァ」、現在の音楽カルチャーにおいては「アイドル」も特別な響きを持つ。だが、真に刮目すべき才能に対して、私たちはどんな言葉を与えることができるだろう。言葉を失うほどの才能、おそらくCoccoはそんな存在の1人だ。1996年のデビュー以来、数々の名曲を発表し、同時に同じ数だけの断絶を経験してきた彼女は、今、新たなステージに立とうとしている。来年1月に東京・大阪で上演が予定されている舞台『ジルゼの事情』がそれだ。



映画『KOTOKO』でスクリーン越しに女優として現れた彼女が、今度は私たちの目の前に生の身体を現そうとしている。既に初回発売分のチケットは完売したことからも、新たな展開に対する期待の大きさは察することができる。今、なぜCoccoは演劇に向きあうのだろうか。

■『KOTOKO』に出演したとき、「演技は家族に怒られるんだろうな〜」と思ってた。ところがみんなけっこう喜んでくれて、「おやおや、やっていいのかい?」と(笑)。

—今回、Coccoさんは「劇団鹿殺し」のメンバーとのコラボレーションで、舞台『ジルゼの事情』に主演されるとのことですが、実は演劇出演は初めてですよね。長年のファンからするとちょっと驚く展開ですが、なぜ舞台に立たれることを決めたのでしょうか?

Cocco:うーん……ずっとやりたいって言ってたんだけど、話がなかった。いいかげん誰も紹介してくれないので、「もう、自分でオーディション受けにいくから!」って、オーディション雑誌をスタッフの目の前に叩き付けて脅したら、ようやく紹介してくれた(笑)。

—本当ですか?

スタッフ:本当です。事実です(笑)。

—でも、そういえば最新エッセイ集の『東京ドリーム』にも書かれていましたけど、Coccoさん、けっこう自分からいろんなものを探しに行ったり、勉強しに行ったりしていますよね。

Cocco:そう、めっちゃしてる。飛び込み型。映画『KOTOKO』も私の持ち込み企画だし。

—それは、塚本晋也監督と一緒にやりたいということで?

Cocco:うん。全部持ち込みだよ。誰も私を強引に奪ってくれないから!(笑)

—奪ってほしいんですね(笑)。エッセイでは、「ずっと演技をやりたかった」と書かれていましたよね。祖父の真喜志康忠さんが、沖縄芝居の有名俳優だったことも影響しているんでしょうか?

Cocco:小さい頃から客席や舞台袖で、じいちゃんの舞台を見てたからね。だから、私もいつかはじいちゃんと同じところに行くのかなって、漠然とは思ってた。でも、うちの家族は芸事が禁止だったんで。

—それは、またなぜ?

Cocco:家族みんな、じいちゃんに散々苦労させられたからね。芸に生きる人生がいかに大変なのかみんな知っているから、父親も公務員だし。親には「おまえは絵が得意だね。じゃあ設計士になれ!」とか言われて(笑)。だから、舞台に上がるのはもちろん、学芸会のお芝居すらもダメで。

—それはさすがに厳しいですね。

Cocco:でも、ダメだと言われると、憧れって膨らむでしょう? それで1年間お願いし続けて、ようやくバレエ教室に通わせてもらえて。

—その後、バレリーナを目指して東京に行き、歌と出会い、今に至るという。

Cocco:だから、『KOTOKO』に出演したときは、「やっぱり、演技は怒られるんだろうな〜」と思ってた。ところが沖縄で『KOTOKO』を上映してみたら、家族みんなけっこう喜んでくれて、「おやおや、やっていいのかい?」と(笑)。その後は、ずっと「舞台がやりたい、やりたい、やりた〜い!」っていう意思表示をし続けてきたんです。

■モテモテのトップモデル、汁是優子が主役。幕が上がるとそこはファッションショーで、私がウォーキングして登場! 素の私を知っている人は笑うだろうな(笑)。

—せっかくなので、作・演出を担当する、劇団鹿殺しの丸尾丸一郎さんにもお伺いしたいのですが、鹿殺しは音楽劇を得意としているカンパニーとはいえ、まさかCoccoさんの舞台を演出するとは思いもしなかったのでは?

丸尾:びっくりしました(笑)。「Coccoさんが舞台に出たがってるんだけど?」「ええっ!?」という感じ。ただ、鹿殺しも座長の菜月チョビがカナダへ1年間演劇留学に行くタイミングだったので、新しい挑戦をしようと思っていたんです。だから、驚きよりもワクワクのほうが強いです。

—『ジルゼの事情』は、Coccoさんのための書き下ろし作品ということになるのでしょうか。

丸尾:今年9月に初めてお食事をご一緒したんですけど、そのときCoccoさんから「舞台やるなら、こんなアイデアがあるよ?」って、『ジルゼの事情』っていうタイトルと筋書きを伝えられまして。

Cocco:もう先に設定を作ってしまってたんです(笑)。タイトル『ジルゼの事情』。主人公、汁是優子(ジルゼユウコ)みたいな(笑)。

丸尾:バレエの『ジゼル』を土台にした話でした。そのアイデアを僕のほうで持ち帰って、さらに考えさせてもらったんです。それまで人のアイデアを脚色するという経験もなかったので新鮮でしたね。

—Coccoさんが出した最初のアイデアって、どんな内容だったんですか?

Cocco:えっと、モテモテのトップモデルが主役。それが私(笑)。で、幕が上がると、音楽が「ダンダンダン!」って始まって、「パン!」ってライトが点くと、もうそこはファッションショーなわけ。それで、私がウォーキングして登場!

—めちゃくちゃ具体的ですね(笑)。あ、ジゼルってスーパーモデルの「ジゼル」のことでもあるんですか?

Cocco:バレエの『ジゼル』を元ネタにはしているけど、現代劇にしたいと思った。それで汁是優子。で、ファッションショーのシーンから暗転すると次は楽屋になっていて、そこでまあいろんなことが起きる。

丸尾:そこが面白かったところで。バレエの『ジゼル』は、主人公の村娘ジゼルが一幕では生きているけど、二幕では死んで精霊になっていて、男の人を踊り狂わせて殺していくっていう話なんです。で、楽屋のシーンを二幕の死後の世界に見立てているんですけど、そこで汁是優子はタバコを吸って、酒を飲んで、すごく自分を解放して自由を満喫しているんです(笑)。その死後の世界観に痺れました。

—『KOTOKO』でCoccoさんの演技を観た人にとっては、驚愕の世界ですね。(笑)

Cocco:素の私を知っている人は笑うだろうな(笑)。

丸尾:実際の作品では、そのアイデアを脚色させていただいて、優子はある喫茶店の看板娘という設定なんです。で、夜になると、その喫茶店はカラオケスナックに変わるという。

■どんどん、生きてくための小道具が増えた気がする。いろんな方法を学んで、10年前や15年前よりも自分の窓が増えた感じ。昔は「歌」っていう1つの窓しかなくて、結局プシューって溢れてた。

—ここ数年のCoccoさんは、映画や舞台など新しい分野にどんどん挑戦していますよね。先ほど、自分は飛び込み型だとおっしゃってましたが、何か心境の変化みたいなものがあったんですか?

Cocco:なんでだろう……。新しいことにはいつも挑戦したいと思っているけど。

—エッセイ『東京ドリーム』の中で、保育士になりたいと思った話も書いてますよね。

Cocco:そうそう。今、通信教育の会社から課題催促の手紙がガンガン届いてる(笑)。でも本気だからね。「やるぞ!」って思うんだけど、みんなで仕事の打ち合わせして、わーってしゃべって、「ああ今日も頑張った、帰るか!」と。……で、また催促の手紙が届くという繰り返し(笑)。

—道のりは遠いですね……(笑)。

Cocco:でも最近、産婆さんのほうが、生まれたての赤ちゃんに直接触れられるよ、って教えてもらった。たしかに保育士でそれは無理だなと気づいて。今は産婆さんが第一希望! ヌルヌルで生まれたてほやほやの赤ちゃんに触れてみたい(笑)。

—1年後にCoccoさんが何をやっているか、予想できないです(笑)。是枝裕和さんが監督したドキュメンタリー『大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-』を観ていても思ったんですが、Coccoさんにとって生命ってすごく大切なものなんですね。

Cocco:へえ……とか言っちゃダメか。そうですね。でも、よくわからないってのが本当。

—あと、エッセイでも政治的な内容に触れていたり、怒りみたいなものが表現や創作のベースになってらっしゃるのかな、と。

Cocco:怒りはガソリンだからね。

—その怒りっていうのは、『ジルゼの事情』のアクティブさにもつながっているでしょうか? 歌とか、本とか、演技とか、何か共通点が見出せる気がします。

Cocco:うーん……歌は自分ではまったくわかんない。勝手に出てくるもので選択肢はない。たとえば恋の歌を作っていても、「今、なんでこんな歌を歌ってるんだろう?」と思っていて、すごく後になってから、「ああ……なるほど」って気づく。歌はいつも先にあって、後から学ぶ。言い方が難しいけれど、プシューって溢れるものが歌。

—とすると、本は?

Cocco:『東京ドリーム』は、いろんな人に「この間の話、もう1回聞かせてよ」ってよく言われるから、何回も同じこと喋るのは大変だし「じゃあ、書きますよ」っていう感じ。だから、自分で書きたいっていうよりも「あの話書いて」ってリクエストされて「はーい」って返しているだけ。学生時代は小論文テストがずっとD判定だったから、文章を書ける人ではないと自分では思ってるよ。でもみんなが「面白いよ」って言ってくれるから書いてる。それは絵も同じで、好きだから描いて、それがCDジャケットに使われたり、展覧会になったりすると、「ああ描いてもいいんだ」みたいな。

—それって今回の芝居にも近い気がします。芸事は嫌がられていると思っていたら、意外にも家族の反応が良かったという。

Cocco:演技に関してもそうだね。「やってもいいんだ?」っていう感じ。どんどん、生きてくための小道具が増えた気がする。いろんな方法を学んで、10年前や15年前よりも自分の窓が増えた感じ。昔は「歌」っていう1つの窓しかなかった。その一か所から全部出し入れしようとすると集中してしまって、結局プシューって溢れてた。今は、他にも窓や出口があって、そこを塞いでいた蓋自体もなくなったっていうか。

—じゃあ、今は無理なく、リラックスしてものを作っていける状態ですね。

Cocco:うんうん(笑)。

■演技は自分の眠っていた引き出しを一斉掃除するみたいで、すごく気持ち良かった。自分が新鮮に甦っていく感じがする。

—『ジルゼの事情』に先行するCoccoさんの演技体験として、映画『KOTOKO』があります。あのとき、初めて演技をやってみていかがでしたか?

Cocco:気持ち良かった。自分がタンスになったみたいで。

—タンス?

Cocco:このへん(脇腹あたりを指して)に引き出しがあって、その中から赤い上着がスルスル〜っと出てきたりだとか。で、それを着ます。お芝居が終わったら脱いで、それがまたスルスル〜っと引き出しに戻ります。ずっと「タンスにゴン」と一緒に眠ってた服が、外気に触れて新鮮になって、また自分の中に戻ってくる。時には、すっかり忘れていた黒いランジェリーを見つけることもある。で、発見して、着て、戻して〜、というのを繰り返していくと、自分が新鮮に甦っていく感じがする。タンスの一斉掃除みたいだね。それがすごく気持ち良かった。

—監督から求められるものに応じて、自分でも発見があったということ?

Cocco:そう。自分、けっこう引き出しがあります!(笑)

—それは音楽だけをされていた頃にはなかった快感ですか?

Cocco:音楽は引き出しじゃなくて、自分が筒になったみたいなものだから。自分はただの筒やストローで、ストローの中を通る液体が歌。でも、その種類はコントロールできない。今の気分はオレンジジュースなのに、突然コーラがやって来たりする。だから疲れる。お茶がいいのに、カシスオレンジとかがやってきて、「今、アルコールの気分じゃないんですけど……」ってなる。

—たいへんだ(笑)。

Cocco:たとえば、すごく怒っていたりすることもあるわけじゃない? でも、超優しい歌を歌えちゃう。なんでかわからないけど、自分の感情と、歌には全然関係がない。「なんでだろう? なんで今この歌なんだろう?」と思いながら、でも歌はあるから歌わなきゃっていう。

—ええ。

Cocco:本当に歌は、何ひとつコントロールできない。運転しにくい車に乗ってると疲れるでしょ。「おいおい、ブレーキ効かないぜ」っていうことをずっとやってきた。だから、文章とか演技は安定するための生活の知恵。ずっとクレイジーなドライビングだと、たぶん死んじゃうから(笑)。しかも、赤の他人を巻き込んじゃったりもするし。

—歌に対する恐怖心があるんでしょうか。

Cocco:歌に関しては、申し訳ない気持ちが大きいです。「もっと安全に乗せたいんだけど、ごめんなさい」っていつも思っている。それなのに、たくさんの人が聴いてくれて……もう一生頭上がりません。本当にありがとうございます。

■お芝居って観る側も一緒に参加して、お互いが歩み寄るでしょう。みんなで「ああ、この向こう側には海があるんだ」って想像しながら作っていく。それがいい。

—同じライブでも、演劇という表現方法に感じられている可能性はありますか。

Cocco:私にとって、歌は一方的な感じがすごくするのね。ひどいドライビングテクニックで暴走しているのを、お客さんが一方的に見せられているような感じがする。お芝居はだいぶ違うよね。お芝居って観る側も参加して、一緒に想像して、お互いが歩み寄るでしょう。「ここはベネチア!」そして「私の名前はマリア!」って役者が演技したときに、「ここは東京じゃん」「あなた日本人ですよね?」ってツッコミが入ったら成立しない。ただの白線や書き割りを国境に見立てたりするのも、観る側の協力があってこそ。みんなで「ああ、この向こう側には海があるんだ」って想像しながら作っていく。それがいい。今って受動的にただ与えられる状況が一杯あるじゃない。3D映画とか、すごいイメージがわーって与えられるばっかり。「トゥギャザーしようぜ!」っていうのはお芝居の一番良いところだと思うよ。

—たしかに。

Cocco:ゴッコ遊びって、人間の本質的なものだから。子どものときはみんなゴッコ遊びをしたでしょう。そういうの大事。頭の体操っていうか。

—頭の体操っていうのは、自分の引き出しを探すこととイコールな気がします。いろんなことをやればやるほど、また違う引き出しが見つかっていく。

Cocco:引き出し、いつも探してますよ。「どこにあるんだ〜?」「いや〜ん、やめてっ! そこはっ……だめ」ってね(笑)。でも気持ちは「さあ、いつでも開けてごらんなさい!」っていう感じです。

—なんで微妙にエロいんですか(笑)。

Cocco:鍵は、えいっ!(遠くに投げるふり)

—(笑)。つまり、「引き出しを開ける鍵は『ジルゼの事情』にあるぞ」ということで、よろしいでしょうか? Coccoさんの新しい引き出しが観れるぞ、と。

Cocco:……うまくまとめたね(笑)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131230-00001465-cinranet-musi
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すぎはら 美里(すぎはら みり)は、暴走族総長などの経験・気質から、視聴者や歌舞伎町内の人々から相談の絶えない存在となり、現在も多くの相談が寄せられる。とくに女性からの支持が多く、街角で呼止られ、そのまま相談といったケースもある。性格・面倒見が良く姐御肌だが、実はかなり天然ボケである。
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