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<阪神大震災>「同じ体験で痛み理解」東日本の遺族も追悼




 「災害は人ごとと思っていた。同じ体験をして初めて痛みが理解できた」。17日午前5時46分、阪神大震災の追悼集会が開かれた神戸市中央区の東遊園地に、東日本大震災の遺族ら14人の姿があった。その一人、宮城県名取市の仮設住宅「愛島(めでしま)東部団地」で暮らす会社員、木皿(きさら)俊克さん(57)は、津波に妻をさらわれ、息子を自死で失った。傷ついた心を癒やしてくれた神戸のボランティアへの恩返し、そしてボランティアの交通費割引制度実現などを訴えるため、神戸に来た。

 東日本大震災の津波で、閖上(ゆりあげ)地区の自宅は流された。木皿さんは重度障害の兄(59)の付き添いで病院にいて、階上に逃れた。長女(23)と次女(21)は学校に避難。長男康之さん(当時27歳)は妻典子さん(当時50歳)の実家にいて無事だった。しかし、ホームセンターで働く典子さんの安否が分からなかった。街中を捜しまわり、100体以上の遺体を見て回った。7日後、遺体安置所で次女が典子さんに似た遺体を見つけ、子供の頃の傷痕で確認された。

 優しい妻だった。仕事の愚痴も笑顔で聞いてくれた。震災前年に結婚25周年を祝ったばかり。定年後は旅行に行こうと話していた。

 木皿さんは、自宅のローン返済に苦しんだ。心配する康之さんに「お前が心配するな。俺が全部背負う」と怒鳴ったことがある。父子の会話は少なくなった。

 震災前に会社を辞めていた康之さんは、震災後ふさぎ込むようになった。病院で統合失調症と診断された。昨年1月2日、一家が身を寄せていた妻の実家の裏山で遺体で見つかった。

 「息子のサインに気づかなかった」。木皿さんは自分を責める。母を失った悲しみを胸に抱えていたのか。「妻が生きていたら息子も死なずに済んだはず」

 昨年2月、仮設住宅に1人で入居した。喪失感の中にあった木皿さんを救ったのは神戸のボランティアだった。「お元気ですか」。笑顔に癒やされた。暮れには二十数人で大掃除を手伝ってくれた。自治会の忘年会にも参加、明るい話題で寄り添ってくれた。「阪神の被災者とつながっていきたい」。わかり合える絆を感じ、自治会の呼び掛けで神戸訪問を決意した。

 地震が発生した17日午前5時46分、木皿さんは仮設住宅から持ってきた典子さんと康之さんの遺影を胸に抱いて犠牲者に黙とうをささげた。「絆」「希望」と書かれた竹灯籠(たけどうろう)の明かりを見つめ、「神戸の人と心が一つになれた気がした」と語った。

 東北の被災地は目に見えてボランティアが少なくなったという。仮設住宅入居者の多くは住宅再建などの見通しがたっていない。木皿さんは「孤立感を深めるお年寄りがたくさんいる。ボランティアはこれからも必要だ」と訴える。

 木皿さんら宮城の被災者14人は17日午後、神戸のボランティアらとともに「災害ボランティア割引制度を実現する会」を発足させる。今後、被災地への交通費や宿泊費を割り引くよう、国に求めていく。木皿さんは「お世話になったボランティアの力になれるよう、災害は人ごとじゃないんだと声を上げていきたい」と力を込めた。【桜井由紀治】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140117-00000024-mai-soci
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すぎはら 美里(すぎはら みり)は、暴走族総長などの経験・気質から、視聴者や歌舞伎町内の人々から相談の絶えない存在となり、現在も多くの相談が寄せられる。とくに女性からの支持が多く、街角で呼止られ、そのまま相談といったケースもある。性格・面倒見が良く姐御肌だが、実はかなり天然ボケである。
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