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<阪神大震災>亡き妻の仕事を継いで…66歳19年目の朝




 阪神大震災で妻を亡くした神戸市東灘区の中島喜一さん(66)は一昨年夏から、障害児のデイサービス施設を手伝っている。妻は、その施設を運営するNPOの前身のボランティア団体で活動していた。震災で心に傷を負った娘2人との日々を経て、中島さんは妻が歩んだ道をたどる。「君がやりたかったことを僕はできているのかな」。17日、あの日から19年の朝を迎えた。

 震災が発生した午前5時46分、建設会社に勤めていた中島さんは車で現場に向かっていた。一家4人が暮らす神戸市灘区のアパートに引き返すと、全壊状態だった。当時高3の長女孝枝さん(37)と中3の次女美恵さん(34)を救出したが、妻彰子さん(当時47歳)は遺体で見つかった。

 彰子さんは、高齢者や障害者家庭で家事援助のボランティアをしていた。中島さんは仕事人間で、子育てや家のことは彰子さん任せ。ボランティア活動も冷ややかに見ていた。

 震災後、中島さんの生活は一変した。

 がれきに7時間生き埋めになった美恵さんは直後の受験で志望校に合格したが、暗がりを怖がり、夜眠れず明かりをつけたまま過ごした。学校に遅刻することも多くなった。孝枝さんも震災や母の話を一切しなくなった。

 「震災なんかに負けず強く生きろ」。そう思わなければ心が折れてしまいそうで、自分にも言い聞かせていた言葉だった。だが、美恵さんは反発し、家族の心はばらばらになりかけていた。

 <お父さんは何も分かってくれない。お母さんの所へ行きたい>

 岡山県の大学に進んだ美恵さんの下宿先の様子を見に行った時、中島さんは走り書きのメモを偶然見つけた。ショックだった。励ましたつもりが、追い詰めていた。美恵さんに初めて手紙を書いた。

 <お父さんが間違っていた。どんなことがあってもお前を守っていくから……>

 返事はなかったが、娘の生きる力を信じて見守った。一方で、心のケアについて講座などで学び娘と接した。

 孝枝さんは一昨年、心の傷を受け止めてくれる男性と結婚、奈良県で暮らす。進路に迷い回り道をしてきた美恵さんは「東日本大震災被災者のために役立ちたい」と、いま鍼灸(しんきゅう)学校に通学する。「ようやく笑顔で話せる親子になった」と話す。

 中島さんは2012年8月から、障害児が利用するデイサービス「ジャングルくらぶ」(東灘区)で送迎車の運転をしている。知人の紹介で始めたが、運営するNPO「神戸ライフ・ケアー協会」の前身は、彰子さんが活動していた福祉ボランティア団体だった。道半ばで逝った妻が自分を導いてくれた気がする。

 施設にはさまざまな個性の子が通う。積極的にふれあい、コミュニケーションが苦手な子にどう寄り添えばいいのかも学んでいる。

 「僕は妻の人生を生かせてもらっている」。そう語る中島さんは「ジャングルくらぶ」で子供と一緒に跳びはねる自分を見て、妻がどんな反応をするのか想像する。「もう苦しまなくていいよ。あなたの好きなように生きなさい」。妻がほほ笑んでいる気がした。【桜井由紀治】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140117-00000012-mai-soci
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すぎはら 美里(すぎはら みり)は、暴走族総長などの経験・気質から、視聴者や歌舞伎町内の人々から相談の絶えない存在となり、現在も多くの相談が寄せられる。とくに女性からの支持が多く、街角で呼止られ、そのまま相談といったケースもある。性格・面倒見が良く姐御肌だが、実はかなり天然ボケである。
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